第7章総まとめと総合演習(量子テレポーテーション)
この章の目標
- ステップ2の道具一式をチートシートとして定着させる
- 量子テレポーテーションを自分の手で導出し、ステップ2の卒業試験とする
- ステップ3(アルゴリズム)へ持っていく部品を確認する
7.1 チートシート — ステップ2のすべて
| ゲート | 行列 | ブロッホ球 | Qiskit | 頻出の役割 |
|---|---|---|---|---|
| $X$ | $\begin{pmatrix} 0 & 1 \\ 1 & 0 \end{pmatrix}$ | x軸 180° | qc.x(q) | ビット反転 |
| $Z$ | $\begin{pmatrix} 1 & 0 \\ 0 & -1 \end{pmatrix}$ | z軸 180° | qc.z(q) | 位相反転 |
| $H$ | $\frac{1}{\sqrt2}\begin{pmatrix} 1 & 1 \\ 1 & -1 \end{pmatrix}$ | x+z軸 180° | qc.h(q) | 重ね合わせ生成、基底変換、位相→確率 |
| $S, T$ | $\mathrm{diag}(1, i)$, $\mathrm{diag}(1, e^{i\pi/4})$ | z軸 90°, 45° | qc.s(q) qc.t(q) | 相対位相の調整 |
| $R_{x,y,z}(\lambda)$ | (第1章) | 各軸 $\lambda$ 回転 | qc.rx(λ,q) 等 | 任意の1量子ビット操作 |
| CNOT | $|0\rangle\langle 0| \otimes I + |1\rangle\langle 1| \otimes X$ | — | qc.cx(c,t) | エンタングル生成、XOR、基底コピー |
| CZ | $\mathrm{diag}(1,1,1,-1)$ | — | qc.cz(a,b) | 対称な位相付け |
| Toffoli | $|11\rangle\langle 11| \otimes X + \dots$ | — | qc.ccx(a,b,t) | 可逆AND、古典計算の包含 |
そして各章で拾った設計原理:
- 回路は左から右、式は右から左。縦はテンソル積、横は行列積(第2章)。
- 1量子ビットゲート=ブロッホ球の回転。直交=対蹠点、角度2倍則(第1章)。
- 制御ゲート+重ね合わせ=エンタングル生成。固有状態を入れれば位相キックバック(第3章)。
- 測定は干渉を壊す。原則は「干渉が済んでから、最後に測る」。基底は測定前のユニタリで選ぶ(第4章)。
- 未知の状態はコピー不可、しかしユニタリは常に巻き戻せる(第5章)。
- 古典計算は Toffoli で全部持ち込める。ゴミはアンコンピュートで返却(第6章)。
7.2 卒業試験: 量子テレポーテーション
未知の量子状態 $|\psi\rangle = \alpha|0\rangle + \beta|1\rangle$ を、量子ビットを物理的に送らずに、事前共有したベル対と古典2ビットの通信だけでボブに転送するプロトコルです。ステップ2の全部品——ベル状態、CNOT、$H$、測定、古典制御(遅延測定)、no-cloningとの整合性——が1つの回路に集結します。回路は次の通り:
q0 (アリス, |ψ⟩): ──────●──[H]──[M]═══════●═══
│ a ║
q1 (アリス, ベル対): ────⊕──────[M]═══●═══║═══
b ║ ║
q2 (ボブ, ベル対): ─────────────────[X]─[Z]── → |ψ⟩ が現れる
(bなら) (aなら)
以下の演習7-4で、この回路を白紙から自分で導出します。導出しきれたらステップ2は卒業です。先に下の実験で「何が起きるか」を体感しておくと導出の見通しが立ちます。
総合演習
【回路読解の総仕上げ】次の回路の出力状態を求めよ。
q0: |0⟩ ──[H]──●──[T]──●──[H]──
│ │
q1: |0⟩ ───────⊕───────⊕───────
ヒント: CNOT2回の間に挟まれた $T$(q0側)。基底ごとに落ち着いて追跡する。
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$H$ 後: $\frac{|00\rangle + |10\rangle}{\sqrt2}$。CNOT: $\frac{|00\rangle + |11\rangle}{\sqrt2}$。$T \otimes I$: $\frac{|00\rangle + e^{i\pi/4}|11\rangle}{\sqrt2}$。CNOT: $\frac{|00\rangle + e^{i\pi/4}|10\rangle}{\sqrt2} = \frac{|0\rangle + e^{i\pi/4}|1\rangle}{\sqrt2} \otimes |0\rangle$。最後の $H \otimes I$: 第2章の一般式(H–位相–H)より $P(0) = \cos^2\frac{\pi}{8} \approx 0.854$ の1量子ビット状態 × $|0\rangle$。CNOTで挟む「サンドイッチ」がエンタングルを作って戻す——q1は最後に $|0\rangle$ に戻っており(アンコンピュートの最小例)、正味の効果はq0への位相付けだけです。
【ベル測定】4つのベル状態(ステップ1演習5-7)を、CNOT(0→1) → $H \otimes I$ → 標準基底測定、の回路に通すとそれぞれどの結果 $(q_0, q_1)$ になるか計算せよ。この回路が「どのベル状態か」を1回で完全に判別できることを確認せよ。
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$|\Phi^+\rangle = \frac{|00\rangle+|11\rangle}{\sqrt2}$: CNOTで $\frac{|00\rangle+|10\rangle}{\sqrt2} = |+\rangle|0\rangle$、$H$ で $|00\rangle$ → 結果 (0,0)。同様に $|\Phi^-\rangle \to |10\rangle$、$|\Psi^+\rangle \to |01\rangle$、$|\Psi^-\rangle \to |11\rangle$(各自確認)。ベル基底は正規直交基底なので、それを標準基底へ写すユニタリ(=ベル生成回路の逆回路!)を前置すれば標準測定で判別できる——第4章の「基底を回してから測る」の2量子ビット版です。このベル測定はテレポーテーション(問7-4)の中核部品です。
【超高密度符号化】アリスとボブが $|\Phi^+\rangle$ を共有している。アリスは自分の量子ビット(q0)に、送りたい2ビット $(a, b)$ に応じて $Z^a X^b$ を掛けてからq0をボブに送る。4通りの $(a,b)$ それぞれで、送付後の2量子ビット状態がどのベル状態になるか計算せよ。ボブはどうやって $(a,b)$ を読むか。
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$(0,0)$: そのまま $|\Phi^+\rangle$。$(0,1)$: $X$ で $\frac{|10\rangle+|01\rangle}{\sqrt2} = |\Psi^+\rangle$。$(1,0)$: $Z$ で $\frac{|00\rangle-|11\rangle}{\sqrt2} = |\Phi^-\rangle$。$(1,1)$: $X$ で $|\Psi^+\rangle$ にしてから $Z$ で $\frac{|01\rangle - |10\rangle}{\sqrt2} = |\Psi^-\rangle$(q0側の $Z$ は $|1\rangle$ を含む $|10\rangle$ 項の符号を反転)。4通りの入力が4つの直交するベル状態に1対1対応するので、ボブはベル測定(問7-2の回路)で確実に判別できます。量子ビット1個の送付で古典2ビットが送れる(事前共有ベル対1個を消費)——テレポーテーション(量子1個 = ベル対+古典2ビット)とちょうど裏表の交換レートです。
【卒業試験: テレポーテーションの導出】初期状態は $$|\psi\rangle_{q0} \otimes |\Phi^+\rangle_{q1 q2} = (\alpha|0\rangle + \beta|1\rangle) \otimes \frac{|00\rangle + |11\rangle}{\sqrt2}$$ (a) この状態を8成分で展開せよ。 (b) CNOT(q0→q1) を適用せよ。 (c) $H$(q0) を適用せよ。 (d) 結果を $|q_0 q_1\rangle$ の4通り(00, 01, 10, 11)でくくり直し、それぞれの場合のq2の状態を求めよ。 (e) アリスがq0, q1を測定して結果 $(a, b)$ を古典通信でボブに送る。ボブが $|\psi\rangle$ を復元するために掛けるべき補正ゲートを4通りそれぞれについて答えよ。
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(a) $\frac{1}{\sqrt2}(\alpha|000\rangle + \alpha|011\rangle + \beta|100\rangle + \beta|111\rangle)$
(b) CNOT(q0→q1):$\beta$ の項のq1が反転して $\frac{1}{\sqrt2}(\alpha|000\rangle + \alpha|011\rangle + \beta|110\rangle + \beta|101\rangle)$
(c) $H$(q0):$|0\rangle \to \frac{|0\rangle+|1\rangle}{\sqrt2}$, $|1\rangle \to \frac{|0\rangle-|1\rangle}{\sqrt2}$ を代入して $$\frac{1}{2}\big(\alpha(|000\rangle{+}|100\rangle{+}|011\rangle{+}|111\rangle) + \beta(|010\rangle{-}|110\rangle{+}|001\rangle{-}|101\rangle)\big)$$
(d) $|q_0 q_1\rangle$ でくくると: $$\frac{1}{2}\Big(|00\rangle(\alpha|0\rangle{+}\beta|1\rangle) + |01\rangle(\alpha|1\rangle{+}\beta|0\rangle) + |10\rangle(\alpha|0\rangle{-}\beta|1\rangle) + |11\rangle(\alpha|1\rangle{-}\beta|0\rangle)\Big)$$ 各測定結果は確率 $\frac14$ で、q2は順に $|\psi\rangle$, $X|\psi\rangle$, $Z|\psi\rangle$, $XZ|\psi\rangle$。
(e) 補正はその逆:$(0,0) \to I$、$(0,1) \to X$、$(1,0) \to Z$、$(1,1) \to ZX$($X$ してから $Z$)。まとめると $Z^a X^b$。これで全ケースでq2 $= |\psi\rangle$。$\blacksquare$
ここまで自力で導けたら、ステップ2は文句なしの卒業です。(b)(c) はベル測定(問7-2)の前処理そのもの、(e) の古典制御は遅延測定の原理(第4章)で量子制御に置き換え可能、という部品の対応も確認してください。
【テレポーテーションの整合性チェック】次の3つの「ありがちな誤解」を、問7-4の計算結果を根拠に否定せよ。 (a) 「状態がコピーされた(アリスとボブの両方に $|\psi\rangle$ がある)ので no-cloning に反する」 (b) 「測定した瞬間にボブ側が変わるので、超光速通信ができている」 (c) 「$\alpha, \beta$ という連続量(無限の情報)が古典2ビットで送れたことになり矛盾する」
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(a) 反しません。アリス側のq0, q1は測定で基底状態に収縮済みで、$\alpha, \beta$ の情報はアリス側から完全に消えています。存在する $|\psi\rangle$ は常に宇宙に1個——コピーではなく移動です。
(b) できていません。補正前のボブの状態は4通りの等確率混合で、どの場合も単独の統計は $|\psi\rangle$ と無関係(ステップ1演習5-9と同じ構図)。ボブが $|\psi\rangle$ を手にするのは古典2ビットが(光速以下で)届いて補正した後です。
(c) 送れていません。ボブの手元に $|\psi\rangle$ が1個できただけで、$\alpha, \beta$ を読み出す制約はステップ1演習4-8のまま(1回測れば1ビットで壊れる)。「状態の記述に必要な情報量」と「取り出せる情報量」の区別(ステップ1第2章)がここでも効いています。——3つとも、この教材で積んだ計算だけで完全に反駁できることに注目してください。
【ステップ3への偵察】次の回路を考える($U_f$ は $|x\rangle|y\rangle \mapsto |x\rangle|y \oplus f(x)\rangle$、$f: \{0,1\} \to \{0,1\}$ は未知の関数):
q0: |0⟩ ──[H]──┤ ├──[H]──[M]══
│ Uf │
q1: |1⟩ ──[H]──┤ ├───────────
$f$ が定数($f(0){=}f(1)$)の場合と、バランス($f(0){\ne}f(1)$)の場合で、q0の測定結果がどう変わるか。$f(x) = x$(バランスの例)と $f(x) = 0$(定数の例)で計算して比較せよ。ヒント: q1側は $|-\rangle$ になっている。$U_f$ は $f(x)=1$ の分岐で標的のXとして働く——位相キックバック(第3章問3-7)。
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$H$ 後の状態は $|+\rangle|-\rangle$。キックバックにより $U_f$ は各 $|x\rangle$ に符号 $(-1)^{f(x)}$ を付けます:$\frac{1}{\sqrt2}\big((-1)^{f(0)}|0\rangle + (-1)^{f(1)}|1\rangle\big)|-\rangle$。
$f(x) = 0$(定数): $\frac{|0\rangle + |1\rangle}{\sqrt2} = |+\rangle$ → $H$ で $|0\rangle$ → 必ず 0。 $f(x) = x$(バランス): $\frac{|0\rangle - |1\rangle}{\sqrt2} = |-\rangle$ → $H$ で $|1\rangle$ → 必ず 1。
つまりこの回路は「$f$ が定数かバランスか」を$f$ への問い合わせ1回で確実に判定します。古典では最悪2回必要($f(0)$ と $f(1)$ の両方を見るまで分からない)。これがDeutschのアルゴリズム——史上初の「量子が古典に勝つ」実例で、あなたはいまステップ2の部品($H$、キックバック、H–位相–H変換)だけでそれを導出しました。ステップ3は、この考え方を $n$ ビットへ、そして探索(Grover)と周期発見(Shor)へ拡張していく物語です。
7.3 ステップ3への橋
| ステップ2で手にした部品 | ステップ3でこう使う |
|---|---|
| H–位相–H サンドイッチ(位相→確率の変換) | すべての干渉型アルゴリズムの読み出し部 |
| 位相キックバック(固有値を制御側へ) | Deutsch-Jozsa、位相推定、Shor |
| 全ワイヤ $H$(一様重ね合わせ) | アルゴリズムの標準的な初期化 |
| Toffoli による古典関数の回路化+アンコンピュート | オラクル $U_f$ の実装 |
| 「途中で測らない」規律 | 干渉が完了するまで振幅を守る |
| ベル測定・テレポーテーション | 量子通信・誤り訂正の基礎教養 |
問7-6でステップ3の入口(Deutschのアルゴリズム)はすでに越えました。ステップ3では Deutsch-Jozsa($n$ ビット版)→ Grover(振幅増幅)→ QFTと位相推定(周期抽出)→ Shorの概要、と進みます。