第4章公理3 — 測定は射影と確率(ボルン則)

この章の目標

4.1 公理3

状態ベクトルの振幅は、そのままでは読み出せません。外部から情報を取り出す唯一の手段が測定で、そのルールがボルン則です。

公理3(射影測定とボルン則)

正規直交基底 $\{|\varphi_0\rangle, |\varphi_1\rangle, \dots\}$ を選んで状態 $|\psi\rangle$ を測定すると:

3つの重大な帰結を最初に言い切ってしまいます。

  1. 結果は確率的。同じ状態を測っても毎回同じ結果とは限らない。公理系のなかで確率が入り込むのはここだけです(公理2までは完全に決定論的)。
  2. 測定は破壊的。測定後の状態は基底ベクトルに置き換わり、元の振幅 $\alpha, \beta$ は失われる。「観測すると壊れる」の正体はこの射影です。神秘的な何かではなく、公理がそう定めているだけ。
  3. 「何を測るか」は基底の選択。同じ状態でも、$\{|0\rangle,|1\rangle\}$ で測るか $\{|+\rangle,|-\rangle\}$ で測るかで、得られる情報がまったく変わる。
例1: 標準基底での測定

$|\psi\rangle = \frac{1}{2}|0\rangle + \frac{\sqrt3}{2}|1\rangle$ を $\{|0\rangle, |1\rangle\}$ で測定すると: $$P(0) = \left|\langle 0|\psi\rangle\right|^2 = \frac14, \qquad P(1) = \left|\langle 1|\psi\rangle\right|^2 = \frac34$$ 結果が $0$ なら状態は $|0\rangle$ に収縮。ここでもう一度測定しても、$\langle 0|0\rangle = 1$ より確率1で再び $0$ が出ます。2回目以降の測定は同じ結果を返す——「測定の再現性」も公理の帰結です。

例2: 基底を変えると結果が変わる

確定した状態に見える $|0\rangle$ を $\{|+\rangle, |-\rangle\}$ 基底で測定すると: $$P(+) = |\langle +|0\rangle|^2 = \frac12, \qquad P(-) = |\langle -|0\rangle|^2 = \frac12$$ 完全にランダムです。「確定した状態」と「重ね合わせ状態」の区別は基底に相対的——$|0\rangle$ は標準基底では確定、$\pm$ 基底では50/50。第1章の演習1-9で見た「$|0\rangle = \frac{|+\rangle + |-\rangle}{\sqrt2}$」の帰結です。

4.2 射影演算子による定式化

演習1-10で $|0\rangle\langle 0|$ が「$|0\rangle$ 成分だけ残すフィルタ」であることを見ました。測定はこの射影演算子 $P_k = |\varphi_k\rangle\langle\varphi_k|$ で書き直せます:

$$P(k) = \langle\psi|P_k|\psi\rangle, \qquad \text{測定後の状態} = \frac{P_k|\psi\rangle}{\|P_k|\psi\rangle\|}$$

1量子ビットでは4.1節の書き方と完全に同値ですが、こちらの形は「複数量子ビットのうち1個だけ測る」(第5章)で必須になります。$P_k$ が第3章の演習3-7で「非ユニタリの代表」として登場した行列そのものであることに注目してください。時間発展(ユニタリ・可逆・決定論的)と測定(射影・不可逆・確率的)は、公理系の中で明確に分離された2種類の操作です。

直観 ボルン則 $P(k) = |\langle\varphi_k|\psi\rangle|^2$ は「状態 $|\psi\rangle$ が基底ベクトル $|\varphi_k\rangle$ とどれだけ重なっているか」を確率として読む規則です。内積=重なりの度合い、その絶対値の2乗=確率。幾何的には「$|\psi\rangle$ を $|\varphi_k\rangle$ 方向に射影した影の長さの2乗」。ノルム1の状態を正規直交基底で展開すれば係数の2乗和は必ず1なので、確率の合計が自動的に1になる——公理1のノルム条件はこのために用意されていました。

実験4: 測定シミュレータ

状態と測定基底を選んで「1000回測定」を押すと、測定結果のヒストグラムが出ます。理論確率(横線)に収束する様子、そして同じ状態でも基底によって分布が激変することを確認してください。$|+\rangle$ を $\pm$ 基底で測ると100%「+」になる——これが次の演習4-7の主役です。



ステップ2でこう使う Qiskitで qc.measure() して得られるヒストグラムは、この実験4と同じもの(ショット数分の標本分布)です。また実機・シミュレータの測定は標準基底(Z基底)固定なので、「$\pm$ 基底で測りたければ測定の直前に $H$ を掛けて基底を回す」という定石を使います。これは本章の例2と演習3-6の合わせ技です。

演習4

問 4-1ウォームアップ

$|\psi\rangle = \frac{2}{\sqrt{13}}|0\rangle + \frac{3i}{\sqrt{13}}|1\rangle$ を標準基底で測定したときの $P(0)$, $P(1)$ と、それぞれの場合の測定後の状態を答えよ。

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$P(0) = \frac{4}{13}$、$P(1) = \frac{9}{13}$($|3i|^2 = 9$。虚数でも絶対値の2乗を取るだけ)。測定後の状態は、結果0なら $|0\rangle$、結果1なら $|1\rangle$。元の振幅 $\frac{2}{\sqrt{13}}, \frac{3i}{\sqrt{13}}$ はどちらの場合も完全に失われます。

問 4-2ウォームアップ

$|\psi\rangle = |1\rangle$ を $\{|+\rangle, |-\rangle\}$ 基底で測定したときの $P(+)$, $P(-)$ を求めよ。

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$\langle +|1\rangle = \frac{1}{\sqrt2}$、$\langle -|1\rangle = -\frac{1}{\sqrt2}$ なので $P(+) = P(-) = \frac12$。標準基底では確定している $|1\rangle$ も、$\pm$ 基底では完全ランダム。「あらゆる基底で確定した結果を返す状態」は存在しないことを感じてください(不確定性の一番素朴な現れです)。

問 4-3ウォームアップ

$|\psi\rangle = \frac{1}{\sqrt2}(|0\rangle + i|1\rangle)$ について、(a) 標準基底、(b) $\{|+\rangle,|-\rangle\}$ 基底での測定確率をそれぞれ求めよ。

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(a) $P(0) = P(1) = \frac12$。(b) $\langle +|\psi\rangle = \frac{1}{2}(1 + i)$ より $P(+) = \frac{|1+i|^2}{4} = \frac{2}{4} = \frac12$。$P(-) = \frac{|1-i|^2}{4} = \frac12$。この状態はどちらの基底でも50/50です(実は「Y基底」という第3の基底でなら確定した結果を返します。1量子ビットの状態は必ずどこか1つの基底で確定します——ブロッホ球を学ぶと自明になります)。

問 4-4基本

$|\psi\rangle = \frac{\sqrt3}{2}|0\rangle + \frac12|1\rangle$ を標準基底で測定して $0$ を得た。直後にもう一度標準基底で測定したとき $1$ が出る確率は? また、1回目の測定に戻れるとして、最初から2回連続で $0$ が出る確率は?

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1回目で $0$ を得た瞬間、状態は $|0\rangle$ に収縮しています。よって2回目に $1$ が出る確率は $|\langle 1|0\rangle|^2 = 0$。「2回連続で0」の確率は、1回目が $P(0) = \frac34$、2回目は収縮後なので確率1、合わせて $\frac34 \times 1 = \frac34$。収縮を挟む逐次測定は「1回目の結果に条件付けられた計算」になる——これを正しく追えるかが測定の理解度の試金石です。

問 4-5基本

射影演算子 $P_+ = |+\rangle\langle +|$ を $2\times 2$ 行列として書き下せ。さらに $P_+^2 = P_+$(2回射影しても1回と同じ)を確認せよ。

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$P_+ = \frac{1}{\sqrt2}\begin{pmatrix} 1 \\ 1 \end{pmatrix} \cdot \frac{1}{\sqrt2}(1, 1) = \frac12\begin{pmatrix} 1 & 1 \\ 1 & 1 \end{pmatrix}$。 $$P_+^2 = \frac14\begin{pmatrix} 1 & 1 \\ 1 & 1 \end{pmatrix}\begin{pmatrix} 1 & 1 \\ 1 & 1 \end{pmatrix} = \frac14\begin{pmatrix} 2 & 2 \\ 2 & 2 \end{pmatrix} = P_+$$ 冪等性 $P^2 = P$ は射影の特徴です。問4-4の「2回目の測定は同じ結果」の演算子版と言えます。

問 4-6基本

「測定の直前に $H$ を掛けてから標準基底で測る」ことは「$\{|+\rangle, |-\rangle\}$ 基底で測る」ことと同じであることを示せ。すなわち、任意の $|\psi\rangle$ について $|\langle 0|H|\psi\rangle|^2 = |\langle +|\psi\rangle|^2$ を確かめよ。

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$H$ はエルミート($H^\dagger = H$)なので $\langle 0|H = (H|0\rangle)^\dagger = \langle +|$。よって $\langle 0|H|\psi\rangle = \langle +|\psi\rangle$ となり、絶対値の2乗も等しい。同様に $\langle 1|H = \langle -|$。「測りたい基底を標準基底へ回してから測る」——ハードウェアがZ基底測定しか持たなくても、ユニタリを前置すれば任意の基底で測れる。ステップ2以降、無意識に使う定石です。

問 4-7考え方

【本章のハイライト】アリスは次のどちらかの方法で量子ビットを1個用意し、ボブに渡す。

  • 方法A: 常に $|+\rangle$ を用意する(重ね合わせ)
  • 方法B: コインを投げ、表なら $|0\rangle$、裏なら $|1\rangle$ を用意する(古典的確率混合)

(a) ボブが標準基底で測定した場合、AとBそれぞれで $P(0)$ はいくつか。区別はつくか。
(b) ボブが $\{|+\rangle, |-\rangle\}$ 基底で測定した場合、AとBそれぞれで $P(+)$ はいくつか。(Bでは「$|0\rangle$ だった場合」と「$|1\rangle$ だった場合」の確率を $\frac12$ ずつで平均する。)
(c) 何回か試行を繰り返せるとき、ボブはAとBをどう見分ければよいか。

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(a) A: $P(0) = |\langle 0|+\rangle|^2 = \frac12$。B: $\frac12 \cdot 1 + \frac12 \cdot 0 = \frac12$。どちらも50/50で区別不能

(b) A: $P(+) = |\langle +|+\rangle|^2 = 1$。100%「+」。B: $|0\rangle$ でも $|1\rangle$ でも $|\langle +|\cdot\rangle|^2 = \frac12$ なので、平均しても $P(+) = \frac12$。

(c) $\pm$ 基底で繰り返し測る。「−」が一度でも出たらB。ずっと「+」ばかりならAとほぼ確信できる(n回連続「+」でBの可能性は $2^{-n}$)。

これが第2章から引っ張ってきた問いの決着です。重ね合わせは「まだ決まっていないだけの乱数」ではなく、基底を変えれば確定的な結果を返す、それ自体で完結した状態です。両者の違いは振幅の符号(位相)情報にあり、$\pm$ 基底の測定はそれを読み出しています。この計算が自力でできたら、ステップ1前半の山は越えています。

問 4-8考え方

未知の状態 $|\psi\rangle = \alpha|0\rangle + \beta|1\rangle$ が1個だけ与えられた。測定を駆使して $\alpha, \beta$ を知ることはできるか。理由とともに答えよ。

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できません。どの基底を選んでも、1回の測定で得られるのは「どの結果が出たか」という離散的な情報だけで、しかも測定した瞬間に状態は基底ベクトルへ収縮し、$\alpha, \beta$ は宇宙から消えます。2回目の測定は収縮後の状態を測るだけなので追加情報はありません。$|\alpha|^2$ を推定するには同じ状態の多数のコピーで統計を取るしかなく、それには「同じ状態を作る手順」を知っている必要があります。量子状態は「読み出せないメモリ」であり、この読み出し制約を前提に、欲しい答えの振幅へ情報を寄せてから測るのが量子アルゴリズム設計の発想です(ステップ3)。

理解チェックリスト